なぜボランティアに無関心でいられるのか

ハイチ千羽鶴の件だけどあきれた。
自分たちにできることは何か無いか?と考えて出たこたえが
「鶴を折る」
他にすることないのか?募金はたぶんしたんだろう。
どうして金を送るだけじゃだめなのか。

誠意をこめて折れば気持ちは伝わる。そんなわきゃない。
ハンガリー人にスウェーデン語で話しかけても通じない。
懸命にやればこころは伝わる。そんなわきゃない。
現実的じゃない。
 
募金やボランティアに対する考えがずれているか、意識が低すぎるような気がする。
レジで会計を済ませたあとでつり銭を小さな募金箱にチャリンチャリンと放り込む人がいる。
あれが信じられない。ろくに説明も読まず得体の知れない物に小額ながら金を出す。その意思に賛同していないのに金を払う。
 
缶飲料のタブで車椅子。
プルトップが無くなって消滅したと思っていた。
今でもタブをちぎって集めている人間のアタマはどうなっているのか。
缶を集めたほうがいいにきまっている。
 
ホワイトバンドのときも無関心さに驚いた。
組織の活動資金になるのをだれもわかっていなかった。
自分の出した金がどうなるか考えない人が多すぎる。
説明不足だったがちゃんと調べたらわかることなのに。
 
自分の時間や金や汗がどうなるのかまるで理解していない。
無駄になったり逆効果になったりしないか少しは心配したらどうか。
あとで騙されたとか言う前にすることがあるはず。
「一生懸命やりました。」とかいってドヤ顔されるのは迷惑。
ボランティアじゃなくてボランティア活動(をする自分)に興味があるだけなんじゃないか。